vol.51
「人間万事塞翁が馬(ニンゲンバンジサイオウガウマ)」
人間万事塞翁が馬、意味は「人生における幸不幸は予測しがたいということ、幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ」(故事ことわざ辞典)(出展:TDB Economic Online)ということです。
今月2024年10月はさまざまな幸不幸を経験することになりました。
10月3日は私にとって39回目の結婚記念日で10月の最初の記念日でした。そして、21日に私の亡き母の20周忌を迎えることが我が家の記念行事だと思っていました。
しかし、こんな中不幸が始まりました。
私は男ばかり4人兄弟の四男なのですが、10月6日(日)に私の三兄に不幸がありました。兄の妻の母親が94歳で逝ってしまいました。そして、10月10日(木)には大学を卒業して入社した会社の1年後輩が2人のお嬢さんを残して60歳の若さで逝ってしまいました。あまりにも悲しくて泣けました。
そして、10月20日(日)の早朝、私の長兄から電話が入りました。今度は長兄の嫁、私からすると義姉が70歳でこの世を去ってしまったのです。5年程前に肺がんを患い、それからいつも気丈に戦っていることを彼女の子供たちから聞いていましたが、ついに力が尽きてしまいました。
義姉が私の実家に嫁いできたのは私が19歳の時で、とても綺麗なお嫁さんが来たと嬉しかった気持ちを今でも憶えています。彼女はほとんど休む間もない家内制手工業的なクリーニング屋という家の嫁となり、私の両親を含めた家族を守ってきた姿を今でも尊敬しています。
このような不幸が立て続けに起こった中、今度は私に降りかかってきました。
10月19日(土)朝、右目にモヤモヤとした違和感を覚え、左目に手を添え右目だけで前を見ると、左下の景色がぼやけていることに気づきました。
その時は目の疲れで大事ではないと高を括っておりましたが、20日(日)には症状が更に酷くなり、右目の左下が明らかに見えず、まるで水面に油性の赤黒いインクを浮かべたような丸い濁りが出てきました。
そして21日(月)の朝一番、まずは会社に出社し、その後すぐに人形町にある眼科医の診断を受けました。その結果、網膜剥離と診断されました。告知されたとき私はこの病気に対してあまりにも無知で、処方された目薬で治るのだろうと思っていました。
すると医師からは、「すぐに大病院に紹介状を書くから今日この場から大病院で精密検査を受けてください。手術を受けることになるでしょう。」とはっきりと言い渡されました。私はもう唖然として声にならず、「はい、わかりました。」と申し上げるのが精一杯でした。
確かに、今思えば半年ほど前から時々右目の視界に黒いコバエが飛んでいるようなことが起こるようになりました。当時このことを人に話すと、「それは飛蚊症と言って加齢による老化現象で結構多くの人がかかっているよ。」という言葉を多く聞き、自分に甘えも出て、その時点で医師にかかることは考えませんでした。まさに我田引水を引くということだと思います。
私は子供の頃から強い近眼で悩んできました。中年期には乱視が入り、五十代からは老眼もきて、目には苦労してきたつもりでしたが、逆に「いつもの不調の一つ」と思ってしまい、対応が遅れたのだと思います。
こんなことは日常や仕事でもあることで、日常に慣らされて危機感が薄らいでしまうということです。今後は経験を活かし「転ばぬ先の杖(Look before your leap)」で準備を怠らないようにしたいと思いました。
2024年10月27日(日)退院時の写真
@東京都千代田区大学病院前にて村松光德撮影
10月21日(月)午前10時、大学病院に検査に来ました。ここはお茶の水にある大学病院です。施設も新しくデジタルも進んでいるように思え、少しだけ安心できました。
午前10時に受付を済まし、その後は昼食抜きでぶっ続けの検査で終わったのは午後4時でした。結果は人形町の医師と同様で網膜剥離(正式には裂孔原性網膜剥離)が確定しました。
そして、そこで決まったことは10月24日(木)入院、25日(金)手術ということです。当然、医師の指示です。
網膜剥離という病気は進行性の病で、振動や首振りなどで網膜の剥離がますます進む病気です。したがって、医師からは「出来るだけ頭が仰向けになるように安静にしてください。」と指導されました。
運が無いことに24、25日は先に書いた義姉の通夜と葬儀と重なってしまいました。ですから医師から日にちを伝えられたときは愕然としました。お世話になった義姉に直接最後の別れが言えなくなってしまうということです。医師から入院日を言われた時はたいへん悩みましたが病状の悪化の懸念もあり、自分自身で医師の言う通りにすることを決めました。
その後自宅に帰り、妻に入院・手術のことを報告しました。彼女も相当病のことを心配していたようで、彼女から出た言葉は、「大丈夫、通夜と葬儀(静岡県焼津市)は私と息子で新幹線に乗って行ってくるから心配しないで!」の言葉でした。何よりも通夜と葬儀をどうしようと考えながら帰りの電車に乗っていたので、この言葉には心から救われました。二人に大感謝です。
今日はまさに24日入院日、このコラムは病室のベッドの上で昼過ぎから書き始めました。そして、妻と息子は今ごろ(午後5時)お通夜に参列している時間です。
謹んで義姉に合掌
※自分自身での校正と加筆は10月28日(月)の午前、自宅で行っています。
そろそろ不幸はこの辺りで終いにしたいと思います。人間万事塞翁が馬、次は良いことです。
昨今、事業を毎年重ねていくうちに「良きこと」とはどんどん仕事中心になっています。これが本当に良いことなのかは大いに考える余地があるところですが今回は不問にしたいと思います。
第二四半期(7-9月)は良いこともたくさんありました。
7月1日には新たな戦力が入社してくれました。長年名古屋に本社を置く物流会社の情報システムで基幹システムの構築を行ってきた大ベテランのSEです。目指すは中部地区のシステム開発の上流工程提案、導入力の強化です。既に3カ月が経ちましたは明らかに結果を出してくれています。
9月6日には静岡県産業振興財団主催の講演会で私が講師を務めさせていただいたことです。講演会のタイトルは「令和6年度 バックオフィス(管理部門)における業務改善へ向けた キックオフセミナー」。私の講演は「「システム構築による生産性向上~効果的なデータ連携について~」をテーマに1時間ほどお話をさせていただきました。
このセミナーは当初定員40名ということでしたが、20名多い60名のゲストが参加してくれました。私としては当社が創業以来挑戦してきた中堅企業向けのシステム構築メソッドである「TRUST」と新たにチャレンジしている「ITリノベーション」のご説明ができ、大変有意義なイベントでした。
次は、デジタルマーケティングを中心としたデジタル広報支援をお客様にご提案申し上げる機会が増え、目覚ましい進歩を見せている点です。この3カ月間で新たなご契約を数件いただきました。この取り組みは今後の当社の重要なビジネスユニットに全力で育てていきたいと思います。
それではコラムの最後に当社の第二四半期(上半期)の業績報告で締めたいと思います。
当社は、中堅企業向けトータルICTサービスであるTRUST事業と、金融機関向け運用・支援サービスを提供するENTERPRISE事業の2つの柱で事業を展開していますが、全社で年間計画値の50%を達成いたしました。全社売上高は759百万円に達しております。
特に、ENTERPRISE事業は好調で、すでに計画値60%を達成。また、TRUST事業も計画値43%に至っており、今後下半期に向けお客様への成果物の納品も計画されていますので今後の伸びに期待をしております。
コラムの終わりに前回書きました内容をもう一度載せたいと思います。以下がその内容です。
「7月2日創立記念日」(2024年7月社長コラムより転載)
私が最近個人的に強く思っていることがあります。それは、物事を主体的に考える、当事者として責任を持って働く日本人がどんどん減っていると思っています。また、情報だけをコントロールすることや人前やネットで借り物のネタでさも自分の成果だといって仕事をしている人たちが増殖していることを感じることです。この傾向は生成AIの普及でますます増えることが間違いないと思っています。
そんな中で、社員に「この会社で働いてよかった。」、「人生をこの会社で歩んでよかった。」と思ってもらうえるように、処遇は当然ですが、この会社で働いた結果で得た経験や感動、自己成長や自己実現の機会、そしてこれらを実行できる環境をいかに提供するかにかかっていると思っています。
以上(2024年7月)
これを今後も愚直に考え、続けていきたいと今回改めて思いました。
私は「ICTトータルサービスカンパニーになる。」ために、これからも本気で考えていきます。以下もいつも通りの締めくくりですがお許しください。
私のシステムサービス会社を経営するうえでの哲学は、「ICTに温故知新を」です。
私たちは今期もこの哲学を大切にしてまいります。
今後とも変わらぬご愛顧をいただけますことを心よりお願い申し上げます。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
弊社の信条である「自己、会社、そして社会に貢献する」を企業価値の中心におき、これからも社員とその家族、そしてご支援をいただくすべての皆さんが健康で躍動されることを期待しております。そして、皆様の更なるご健勝とご発展を心よりお祈りいたします。ありがとうございました。
以上(自宅での療養中にて)
2024年(令和六年)10月28日
トライビュー・イノベーション株式会社
代表取締役社長 村松 光德